名古屋の東海道本線 貨物線(南方貨物線)

名古屋市内には、国鉄時代に建設がされほぼ路盤は完成状態だったが
国鉄改革の一環で建設中止になった、東海道本線貨物線(南方貨物線)が存在しているのは
みなさんもご存じだと思います。

大府駅東京方から分岐し、神戸方へしばらく東海道本線と複々線の形態をとり、笠寺駅から
東海道新幹線沿いに複線高架で、

■JR貨物・名古屋港線(東海道貨物支線・東臨港線)
■JR東海・西名古屋港線(東海道貨物支線・西臨港線)現在:あおなみ線
及び名古屋貨物ターミナルに接続する形で建設が開始されました。

なぜ、西名古屋港線が旅客営業も無いのに2004年までJR東海所有だったかということですが、
これは旅客化する構想があったためで、JR貨物ではなくJR東海に承継されました。
実際、JRでの旅客化は叶いませんでしたが、第3セクター名古屋臨海高速鉄道に
よって旅客化されました。JR貨物は第2種免許により引き続き営業をしています。

なお、仮に南方貨物線が開業し西名古屋港線とつながっていたとして場合、
旅客化構想がなくても、南方貨物線と西名古屋港線はJR東海の所有となっていたと思われます。
両端で旅客線と接続する連絡支線(貨物線であっても)はJR旅客会社の所有となるのが
原則だからです。梅田貨物線や東海道貨物線などがその例です。今はこれらは旅客営業もしています。
稲沢貨物線もJR東海の所有で、旅客営業列車や旅客用回送列車が走ることもあります。

西名古屋港線は国鉄時代に旅客列車が走ったことがありますが、JR東海が所有している間は
走ったことはありません。JR貨物が所有する東臨港線の方には、JR東海が旅客列車を
走らせたことはあります。(ナゴヤ球場への旅客輸送)

さて、線路の話だけに、話はかなり脱線しましたが・・・
南方貨物線の話に戻しませう。

南方貨物線は私が小学生の頃はまだ建設中止になったものの、完成状態だった高架線と
路盤はそのままの状態でした。
2000年を過ぎてから旅客化転用の断念、高架線老朽化(震災対策無し)による
危険性またJR東海・南大高駅新設等に伴い、南方貨物線の撤去工事が進み、当初よりは遺構は減りました。

大高駅付近だけ路盤の整備の他に、PC枕木の立派な線路(レール)が敷設されていたのを覚えています。
ウィキペディア(南方貨物線)の記事には、東海道旅客線の横に貨物線のレールが敷設されているのが
分かります。2007年までは残っていたようです。南大高駅新設に伴う工事で撤去されたのでしょう。

で、私このレールが何故先行して敷かれているのかがとても気になっていました。
「これは南方貨物線だよ。作ったけど中止になって結局列車は走らなかったんだよ。」
って聞いていたんですが、

「ホントに列車が走ったこと無いなのか?」
っていつも思ってまして・・・ なんでこんなに立派な線路なのに。

色々調べてみたのですが、この南方貨物線と呼ばれている線路の方、実は「東海道本線(旅客線)」として
敷かれていたのではないかと思うんです。どうも、その名残のレールだと・・・

つまり、以前はこの南方貨物線に東海道本線の列車は走っていた。寝台列車、普通電車そして貨物列車も。
バラストも突き固めされていた立派な線路です。まだ笠寺~名古屋貨物ターミナル間の高架の部分、
そして共和(南大高)~大府間における線路の敷設もされていないのに、ここだけバラストの突き固めを
する必要があるのかということです。
「突き固め」それは近々その線路の使用が開始する、または使用されていたという証拠でもあると思います。

昭和52年の国道交通省の航空写真があるので、それを見ますと、当時まで地上駅だった
大高駅の高架化工事が進行中で、それを見ると、共和~笠寺間の南方貨物線の方のバラストが
茶色で、東海道本線の方が綺麗なグレー色なんですよ。
普通に考えたら南方貨物線の方が新設される路線なのですから、そちらのバラストが綺麗なはずですが
逆転しています。

さらに共和(南大高)~大高間の航空写真を見ますと、東京方は不自然に東海道本線から南方貨物線側に
線路が振られています。つまり大高駅が高架工事期間中は、仮線として南方貨物線の路盤を
東海道本線用に一時利用しなくてはならないので線路を先行して敷設していたのでしょう。

昭和52年の航空写真もあまり綺麗ではないのでよくわからないのですが、
大高駅の南方貨物線側になんか仮ホームみたいのが設置されているようにも見えるのです。
さらにこの航空写真では大高駅構内の南方貨物線上り線に貨物列車が走っているのが写っています。

ただ大高駅の本来の南方貨物線の上下線は間隔が狭いので、下り旅客用ホームを設置するために、
貨物上り線だけは仮敷設(というか駅部分だけ東海道・新設下り線を一時転用)だったかもしれませんね。

神戸方は天白川橋梁を渡った所を過ぎて、南方貨物線から東海道本線に線路が振られています。

昭和62年の航空写真では既に東海道本線の天白川橋梁は撤去されています。南方貨物線の橋梁が
東海道本線の橋梁として使用されています。
天白川橋梁に関しては、東海道本線の高架化工事が終わり、南方貨物線が使用開始になった場合、東海道本線を旧橋梁へ振り戻す必要があったわけですが、大高駅の高架化が完成してから、東海道本線の使用する橋梁は、本来の(今は撤去された橋梁)旧橋梁に振り戻ったことがあったのでしょうか?仮に戻すにしても旧橋梁の老朽化が激しいとなれば架け替える必要はあります。

①南方貨物線が建設中止に追い込まれ、貨物線が新橋梁を使用する見込みがなくなった。
②そうなれば、老朽化した東海道本線の旧橋梁を架け替えなくてもそれを転用すればいい。
③ということは、橋梁部分はこのままにして、わざわざ東海道本線に振り戻す必要はない。

東海道本線は高架化完成後も南方貨物線側に振られたままの状態になっているのが実情ではないのでしょうか?分からんですね~

少なくとも言えることは、大高駅高架化完成時には南方貨物線の工事は中断されていて、東海道本線の仮線として敷設した線路をホントに貨物線に転用するかも怪しい時期でした。

それでも、21世紀になっても大高駅前後の線路は撤去されず残っていたのは、一応将来の転用を見込んでのもの…?

とにかくこの線路は無駄に敷設された線路ではなく、普通のどこの鉄道会社でも高架化工事には仮線を敷設して対応するのが通常ですので、本当の意味での悲運の線路ではありません?
もっとも南方貨物線が開業するために残してあったわけですから、本来の目的を達成できないそういう意味で悲運と言えますが。

さて、列車が走行したことがないとされる敷設された南方貨物線の線路に、大府駅の5番線相当~東京方上り線へつながる部分があります。東海道下り中線と呼ぶのかな?南方貨物線が開業時には貨物上り線となるはずだったのですが、南方貨物線が未成線のため下り中線となってしまっています。東海道上り本線に下り中線が接続されても使いようが無くて、何もできない線路となっています。
工事車両以外で、「何かが」が入線くらいはしたことがあるのかな?